京都祇園祭 綾傘鉾保存会
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綾傘鉾

綾傘鉾と棒振り囃子

1、祇園祭の基礎知識

棒振り踊り

祇園祭は、かつては“祇園御霊会”とよばれ、いわゆる御霊信仰の影響を濃厚に受けた祭です。御霊(ごりょう)とは非業の死をとげ、この世に未練や恨みを持つ死者の霊魂で、このような霊魂が人々に疫病を振りまくということから、それらの荒ぶる霊魂を歓待し、慰撫することによって災厄をもたらさぬように神の世界へ送るための祭礼が「御霊会」(ごりょうえ)とよばれる祭です。御霊信仰は平安時代には牛頭天王(ごずてんのう)の祭と習合し、祇園御霊会として定着してゆきました。牛頭天王はインドでは祇園精舎の守護神でしたが、日本では御霊信仰と結びつき、厄神とみなされるようになりました。この神を祀れば疫病や災厄から免れることができるとして、広く民間に普及しました。春から夏前の時期に御霊会が行なわれるのは、この頃が一番疫病の流行しやすい季節だからです。このことは梅雨の集中豪雨による河川の氾濫とも関係があります。鴨川や桂川などの京都の河川は、かつてはよく氾濫しました。河川の氾濫は水害であると同時に、伝染病の流行という二次的な被害をもたらすことは今も知れたことでしょう。だからこそこの時期に災厄や疫病の招来の根源とされた御霊を祀り、京の町の平安を祈願したのです。
平安京において御霊会がいつ頃始まったかについては諸説があり、明確な時期は不明です。おそらく平安時代後期の10世紀末から11世紀頃には牛頭天王を祀る神仏習合の社殿としての祇園社が成立し、ほぼ同じ時期に祇園御霊会が年中行事として定着したであろうと考えられています。

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2、綾傘鉾の歴史と囃子物

お囃子

綾傘鉾は、現在の32基ある山鉾の中でも大変珍しい「傘鉾」の形態をとる鉾です。傘鉾は剣鉾や鎌鉾などとともに、今日の山鉾の形態が完成する以前の古い形であり、京都市北区今宮神社のやすらい花の花傘に代表されるような、いわゆる風流(ふりゆう)とよばれる作り物や芸能のもっとも基本的な形態を今に伝えるものだといわれています。応仁の乱以前の15世紀前半の記録にも綾傘鉾が登場することから、550年以上前から存在した古い鉾であることがわかります。
祇園祭を中心とした、山車研究では第一人者である植木行宣氏は、著書の中で「囃すものと囃されるもの」という表現を用い、祇園祭山鉾の特質について述べています。それによれば、山鉾の基層には「風流拍子物」の特質が流れているといいます。すなわち「風流拍子物」は神霊の送迎、特に疫神や災いなどの退散を願う「ハヤス」という行為から出た群集の踊りが基本であり、芸能としての特質は、太鼓などの打ち物系の楽器(打楽器)を踊り子が自ら打ち踊り、そして移動するところにあります。「風流拍子物」は鉾や傘、作り山や仮装の者たちが主体となり、それらは拍子に囃されて移動することを特質としました。囃される傘や山は神霊の依り付く「座(くら)」であり、神霊の動座を現したものです。
このように、山鉾の原初形態の一つである「傘鉾」は、まさに囃されて移動する神塞の動座そのものであり、そこには「棒振り囃子」に代表される、派手な囃子を伴っていることが必要だったのです。室町時代の記録に登場する山鉾の中で、「綾傘鉾」や「四条傘鉾」はともに「はやし物」と表現されています。極言すれば「傘鉾」はそれだけで存在しても意味はなく、また「棒振り囃し」もそのものだけでは意味を持たないということもできます。両者がそろい、それらが移動してはじめて意味を持つ「風流拍子物」になったのです。

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3、綾傘鉾の近世

洛中洛外図屏風

綾傘鉾は江戸後期の天保5年(1834年)、一時小型の鉾に改造されましたが、元治元年(1864年)の大火で大部分を消失してしまいました。その時の鉾の本体は、北観音山の古い部材をもらい受けたと伝えられています。その模型が残されていまして、現在では、祇園祭の期間は大原神社に展示していますが、それ以外の時期は、右京区広沢の佛教大学宗教文化ミュージアム(旧称:佛教大学アジア宗教文化情報研究所)で展示されています。

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4、綾傘鉾棒振り囃し

棒振り囃子

佛教大学所蔵の「洛中洛外図屏風」(以後「佛大本」と称す)には、9基の山鉾が四条通りから寺町通りを南行し、さらに松原通りを西に向かう様子が措かれています。その中で注目すべきは傘鉾で、これは傘の先にご神体の鶏が見えることから、あきらかに綾傘鉾だとわかります。多くの「洛中洛外図屏風」に傘鉾が描かれていますが、明確に綾傘鉾を措き、さらにその周囲で演じられる棒振り囃子の様子を克明に描いた屏風は珍しいと思います。絵をよく見ると、綾傘鉾の周囲で赤熊を被った看たちが1人は横笛を吹き、1人が鉦を持ち、2人が対面で太鼓を打ち、もう1人が棒振りを演じていることがわかります。
現在の綾傘鉾棒振り囃子は壬生六斎念仏保存会の人たちによって演じられていますが、壬生村の人たちが綾傘鉾に関わるようになるのは近世中期の18世紀中頃以降のことだといわれていますので、屏風に描かれている棒振り噺子は、おそらく中世から存続していた専門の芸能集団によって演じられていたものと考えられます。ただし具体的にどこの、どのような芸能集団が綾傘鉾に奉仕していたかは不明です。しかし少なくとも「佛大本」が描かれたであろうと思われる17世紀後半の時期において、今日とほとんど変わらぬ衣装を纏い、鉦、笛、太鼓にあわせて棒振り囃子が演じられていたという事実は大変興味深いといえましょう。
ところで、今日の棒振り囃子に用いられる棒は、長さ5尺弱ほどで、両端に1尺ほどの房を付けたものです。棒振りには棒を振るうことで、周囲のさまざまな災厄を祓う目的があると考えられます。また太鼓方は二人で一つの締太鼓を、一人が手に持って受け、もう一人がそれを打って踊りながら囃します。

文責:八木透(佛教大学歴史学部教授)

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現在の綾傘鉾

1、綾傘鉾の復活

弐基の綾傘鉾

元治元年(1864年)の大火で大部分を消失した綾傘鉾は、明治12年(1879年)から17年(1884年)まで原形の徒歩噺子として巡行に復活しました。しかし、明治17年以降は完全に途絶えてしまいました。それが昭和54年(1979年)、善長寺町の人たちの苦労と努力によって、約100年ぶりに復興が成し遂げられたのです。
以後、綾傘鉾は毎年山鉾巡行に参加するようになり、今日に至っています。
さらに今では山鉾巡行中、最大級の長さを誇る一列までになりました。

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2、綾傘鉾の懸装品

綾傘鉾には、2基の鉾が存在します。傘部は直径2.6mの緋綾の天蓋となっており、頂には1基に御神体とする木彫りの鶏と2基には松の木がそれぞれ飾られます。
次はそれぞれに着けられる垂がりについて簡単ながらご説明をいたします。 第1基

第1基

第1基は巡行の際の前側の鉾です。
この鉾の懸装品は平成6年に製作されました。祭りの期間中は善町寺内に展示されており、目近で観覧できるようになっています。
傘鉾で最も重要となる傘垂がりは、元々当町内に住んでおられた梶居さんより寄贈されました「飛天の図」です。
また、鉾の胴体の欄縁や金具は、平成6年の建都千二百年記念として京都文化博物館で開催された、祇園祭展の出展の際に新調されたものです。
細部までじっくりと御覧いただきますと、その美しさや精巧さがよくわかると思います。


第2基

第2基

第1基の後ろに巡行する鉾で、懸装品が製作されたのは昭和48年です。この鉾は巡行に復活した当初から使われている鉾です。
傘垂がりは、人間国宝の染色家・森口華弘さん寄贈の「四季の花」です。

もう一組の傘垂がり

昭和54年の巡行復活時から綾傘鉾は2基の傘鉾を出していました。つまり、「飛天の図」寄贈以前のもう一組傘の垂がりが存在するということです。
では、どこにそれがあるのでしょうか?
現在、綾傘鉾の会所がある大原神社内で会所飾りとして展示され、残念ながら山鉾巡行では使われなくなりました。
この垂がりは、西陣織物工業組合にお願いして西陣の織屋さん28軒に共同製作していただきました。

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3、棒振り囃子―壬生六斎念仏保存会

【綾傘鉾と棒振り囃子】でも述べられていますが、現在、綾傘鉾棒振り囃子は壬生六斎念仏保存会の方々によって演じられています。棒振りの具体的な内容についても、歴史と共に先のページで述べてありますので一読ください。
宵山の3日間、綾傘鉾の南東側で1日数回棒振り囃子が演じられています。
この壬生六斎念仏保存会の方々は、祇園祭が終了すると8月に壬生寺で先祖供養の盆行事を行なっていらっしゃいます。壬生寺では他にも中堂寺六斎等もあります。
“六斎”などについては、壬生六斎のホームページで御覧下さい。

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4、会所飾りと粽

会所飾り

綾傘鉾の会所は町内にある大原神社です。祇園祭の期間中、大原神社境内を飾り付け、先に述べたもう一組の傘垂がりを始め、江戸末期に焼亡した“曳き鉾版綾傘鉾”の模型や巡行で使用する御面(新旧2種)、明治期の祇園囃子の譜面など多数の物品・貴重品を展示・公開しています。
平成19年からの会所飾りは前年とは違った配置・巡覧形式にしました。これからもしばしば(あるいは年度毎に)配置や展示品を変更することを考えておりますので、“この年と同じものは見られない”と思っていただいたほうがよいと思います。

粽と御利益

“粽”というものは元来、厄除けを主な御利益としてしています。
祇園祭の“粽”も祭りの目的が厄除けであることから同様のことが言えると考えられます。
しかしながら、各鉾町の祭神や御神体によって「厄除け」にプラスして、本来とは異なった御利益を付与しているのがほとんどです。【*このような各鉾による御利益の違い・内容は、会所飾りを行なっている大原神社でお尋ねいただければお答えいたします。】
綾傘鉾の“粽”も大原神社にちなみ、“縁結び・縁故守り”という御利益があります。
後付の御利益なのに効果はあるのか?というふうに思われるかもしれませんが、当鉾や粽が縁となってカップルが成立したり、結婚へと進んだ方も多数おられます。
お礼参りとして大原神社に再参詣なさって、このような報告を聞くことも多々あります。
中には毎年報告等に来られる“常連”の方もおられます。
後付だとしてもこれだけの効果があると考えると、なかなか捨て置けないものです。


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※このページは京都市の「大学地域連携モデル支援事業」の助成を受けて作成いたしました。