綾傘鉾には6人の稚児が7月17日の巡行に徒歩で参加しています。
綾傘鉾の稚児は、祇園祭に参加している多くの鉾の稚児が人形となった中で、長刀鉾と同様に生身の人間が稚児となる数少ない鉾であり、これが大きな特徴となっています。
巡行時は6人の稚児に差し掛け傘がなされ、稚児の後方に棒振りやお囃子方、鉾という順番で進んでいきます。
本年度のお稚児さんをご紹介いたします
*昨年度のお稚児さん
| 名前 | 年齢 (巡行時) |
その他 | |
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吉村羽琉 | 5歳4ヶ月 | 大津市立志賀幼稚園 年長 |
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萬代竜之進 | 5歳11ヶ月 | 京都幼稚園 年長 |
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伊東篤志 | 5歳9ヶ月 | 安井幼稚園 年長 |
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若林亮汰 | 6歳2ヶ月 | 安井幼稚園 |
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前川昇大 | 6歳1ヶ月 | Angels Montessori Kindergarten幼稚園 |
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村尾京祐 | 5歳9ヶ月 | 永観堂幼稚園 |
本年度の正使・副使をご紹介いたします
| 名前 | 年齢 | その他 | |
| 九谷田雄基 | 12歳 | 京都市立西ノ京中学校 |
| 名前 | 年齢 | その他 | |
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桑原祐輝 | 12歳 | 京都市立朱雀中学校 |
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桑原弘樹 | 10歳 | 京都市立朱雀第六小学校 |
*昨年度以前のお稚児さんの記録です。
祇園祭は7月1日から31日の一ヶ月の間続く長いお祭りです。
この間に綾傘鉾が直接的に関わる祭事は17日の巡行で一応の区切りとなります。
祭りの無事を祈願するもので、鉾町によって形態や所作は様々です。氏神などの無い鉾町では「牛頭天王」(ごずてんのう)の掛軸を世話役さんのお宅の床間に吊るし、その前で祈願を行なっておられます。
綾傘鉾では、町内の氏神である大原神社を会所として祭りの中心とするため、八坂神社から神主・宮司さんをお迎えして祈願していただいています。
祇園祭の開始を告げる“吉符入り”を終えると、翌日には鉾の進行の順番を決める“籤取式”が京都市役所で行なわれます。
各鉾町から2名づつ出席し、市役所市会議場において奉行役となる京都市長や八坂神社宮司・清々講社の方々の前で厳正に行なわれます。
*この市役所市会議場での籤取は、ニュースなどで報道されていることから有名ですが、それよりも前に市役所内の会議室で“籤を引く順番を決める籤取”(=“予備籤”といわれます)が行なわれます。よってこの予備籤と本籤(=市会議場で行なわれる籤取)でまったく順番が変わってしまうことが多々あります。
(籤取式というものがいまだに厳正に(しかも二重に籤取が)行われているということは、応仁・文明の乱以前の巡行時の先陣争いが実に激しかったことがうかがえます。)
この籤取に関して、長刀鉾を筆頭とする「籤取らず」とされる山鉾が数基あることは有名です。
この「籤取らず」を除く24基が【鉾】【前山】【傘鉾】【後山】にわかれて、それぞれの順番を決めることになります。
綾傘鉾は四条傘鉾と「傘鉾一番」(巡行中7番手)と「傘鉾二番」(巡行中15番手)を決めます。
*昨年度のお稚児さん
綾傘鉾では、毎年7月7日の七夕を良日(節句になるので一理あるのかも・・・)として社参を行っています。また、この日初めてお稚児さんが一般にお披露目されます。
綾傘鉾の稚児となるための支度金を納める儀式で、場所は八坂神社常盤新殿です。
一人づつ父親と一緒に参内して保存会役員に御礼の言葉を述べます。その後、役員から祝辞と稚児餅が贈られて退場します。
最後に稚児一行は保存会役員と契りの杯を交わします。
初めて公式に衣裳と化粧を施されたお稚児さんは、終始緊張した感じで臨んでいます。
(→中には実に楽しそうにして、リラックスしてるような子もいますが・・・)
続いて“宣状の儀”が執り行われます。今度は八坂神社本殿へと場所を移動します。
八坂神社正面の鳥居・門から行列をなして参詣し、宮司や巫女の清めを受けた後、保存会役員と共に本殿へと参内します。
まず始めに御祓いが行なわれ、祝詞があげられます
御祓いの終了後、お稚児さんは八坂神社宮司から『宣状書』を授与され、八坂の神さまから「神の使い」として初めて祇園祭の稚児に任命されます。
*八坂神社の正面は、四条通に面した西方の朱塗り門(西門)ではなく、そこから一筋下がった道に面した南側の鳥居・門となります。
“宣状の儀”を終えたお稚児さんは本殿の周りを3度回ります。これを“御千度の儀”と言います。
千度というのに三度終でわってるのでは?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、良日に参詣すると千度参詣したのと同様であるということに依拠した行事です。
このような作法というのは、形は違うかもしれませんがどこの地域でも見られ、受け継がれているものです。
まず本殿正面で拍手と御辞儀を行ないます。終わるとお稚児さんは傘掛けで廻り始めます。
本殿後方に着くと、再び拍手と御辞儀を行なってまた正面へと移動します。これで1回です。あと2回繰り返して終了となります。
いくつかの鉾町(なかでも巨大な山鉾を持つ町)では鉾の建造が始まっています。
綾傘鉾では綾小路通の通行止めが14日までされないために鉾の建造できません。
よってこの日は大原神社境内の飾りつけを行ないます。
詳しくは綾傘鉾の歴史と現在内の【4、会所飾りと粽】を御覧下さい。
早朝から集合し、夕方の宵山の賑わいに間に合うように鉾を組み立てます。
他の鉾と同様、鉾の構造や華装品の形状などを間近に見れます。
また、鉾の大傘や傘垂がりが吊るされる時には、これらも通常よりもより低い位置で見ることができます。
宵山の3日間、ボランティアなどの力を借りて粽売りや後援会の方々の接待が行なわれます。
また、日が落ちるまで、後援会の接待場所前ではいくつもの行事やイベントが行なわれます。
*最近では、宵山は16日のことで、15日は宵宵山、14日は宵宵宵山という方もおられます。
宵山最終日の16日夜22時半頃より、翌日の山鉾巡行の無事を祈りに祇園社御旅所(四条寺町)まで巡行し、棒振り囃子を奉納します。
その道中で、帰ってくる(あるいは同じく向かう)各鉾町と祇園囃子の演奏合戦のようなものが見れるときがあります。
祇園祭前半部のクライマックス、山鉾巡行が行なわれます。
四条烏丸に集合した各鉾は、長刀鉾の稚児による“注連縄切り”、“籤改め”を合図に巡行を開始します。
四条麩屋町には結界となる注連縄が張られています。長刀鉾の稚児はこの注連縄を独特の作法で断ち切ります。また、“籤改め”の場所では、籤を確認する奉行役の京都市長、京都府知事などが居並んで見守っています。
お稚児さんの最大のハレ舞台、山鉾巡行です。お稚児さんにとっては四条通~河原町通~御池通~新町通とかなりの長旅になります。
みんな終始堂々とした巡行を心掛けてがんばって歩きます。
*巡行を御覧になる際、四条通や河原町通のアーケードの上を見ると何人も人がいることがわかると思います。彼らは、祭り前に収納した信号を巡行最後の南観音山が通過すと同時に元に戻し、普段の幹線道路に復原します。
つまり、最後まで見ていると鉾の後に自動車がついてくる様子を見ることができるのです。
また、現在の四条通を見ても考えられないことですが、少し前まで他の場所と同じく至る所に電線が張られていました。
当時、鉾が巡行する際はそれらすべて切っていた(外していた)そうです。
※このページは京都市の「大学地域連携モデル支援事業」の助成を受けて作成いたしました。